今月のおはなし
2018.9月 人間社会は 網の目が互いに繋がりあって 釈尊は「縁起」の教えを説かれました。縁起とは正しくは「因縁生起」と言います。 縁起の意味は、二つの側面から解釈されます。 第一は、物事が生じるには必ず原因がなければならず、それを助ける縁がなければ結果は生じないという教えです。それは、この世のあらゆる出来事が運命によって定められているという考えを退けるとともに、神の意志によって全てが決定されるという考えや、原因なくして偶然に起るものに過ぎないという考えを否定することにつながります。すなわち、善い結果を得るには善い原因と善い条件を調えることが必要だということであり、悪い種をまけば悪い結果を引き起こすのであるとして、善因善果・悪因悪果の道理に従い、自分の行為に責任を持とうとする態度を尊重するということです。 第二は、関係性的世界観とでもいうべきものと解釈することができます。私たちは、ややもすると、自分と言う存在は他と無関係に成立しているものと考えがちですが、縁起と言う視点から見ると、この広い宇宙の中に、他と無関係に独立して存在するものは何一つないということです。万物はお互いに因となり縁となって、関係しながらつながっているのです。 人間関係に限っていえば、親が子供を産むのでなく、子供が生まれた人を親と呼ぶのですから、親と子は相互に依存する縁起の関係にあるのです。親がいて、子供がいて、それから関係を作るのではありません。「縁あって」親子となったのです。また、私と言う存在は子供から見れば父ですが、私の父から見れば子供であり、孫から見れば、「じじ」でしょう。それらの諸関係の集合体を、仮に「私」と呼んでいるだけで、はじめから「我」というものが単独で成立しているわけではないのです。こうした関係性のつながりは、家族から親族、学校や職場といった社会関係へと発展し、地球上の生命体全体とつながり、ついには銀河系宇宙からその果ての森羅万象へと拡大していきます。 このような重々無尽の関係性を経典で「帝釈天の網」という表現で説かれています。 帝釈天というのは、古代インドで信仰されたインドラ神が仏教に取り入れられたものですが、その宮殿の大広間には巨大な網がかけられていて、その網目のすべてに宝の珠が付いているというのです。そして、まるでシャンデリアに取り付けられたミラーボールのように、一つの宝珠から発せられる光は次々に他の宝珠に映り、また、あらゆる宝珠の光が再び一々の宝珠に反射していると説かれます。いかにもインド的な、荒唐無稽の寓話のように感ぜられるかもしれませんが、釈尊の目覚めの内容、すなわちさとりの世界とは、宇宙全体を見渡すような視点に立って自分のいのちを見るということなのかもしれません。 |
8月はなし 自他平和 8月は、原爆記念日・終戦記念日があり、平和について考えることであります。 インドにマダカ国とコーサラ国という大国がありました。王様はプラセーナジットといい、王妃はマッリカーといいました。お二人はとても仲のいいご夫婦として国民から尊敬されていました。ある日のこと国王は、王妃に次のように尋ねられました。「王妃よ、この世において、自分よりもいとしいと思う者があるか」と。王妃曰く「王様、まことに恐れ入りますが、わたしには自分よりいとしい者があるとは思えません」と。今度は王妃が王様に尋ねました。「王様は、いかがですか。ご自分よりいとしく思う者がこの世にありますでしょうか」すると、王様も正直に答えます。 「王妃よ、私もまた、この世において自分よりいとしい者はないと思う」と。長い間釈尊の教えを学んだ国王夫妻が、結局自分より以上に愛する者はないという結論になったのです。 不安になった国王夫妻は、お釈迦さまに事の次第を報告しました。 釈尊は、次のように答えられました。 あらゆる方面に思いをめぐらしても 自分よりいとしいものは見いだせない。 そのように、他の人々にとっても自分は最もいとしいものである。 だから、自分を愛するあまり他人を害することがあってはならない。 「相応部経典」 夫婦は一心同体とか、愛する人のためには命をも捨てるといいながら、いざとなると結局自分が可愛いということから抜け出せないのが人間の性(さが)であることに、気づきました。 お釈迦さまは、「自分が可愛い」ということを否定することなく、だからこそ他の人もそうなのだと共感することが、自と他との対立を超えていく道だと教えられたのです。 すべての人々は暴力を恐れる。 すべての人々にとって生命は愛しい。 自分におきかえてみて 殺してはならない。 殺させてはならない (ダンマパタ) 人と人との対立は、家族と家族の対立関係に連なり、やがては社会におけるさまざまな組織体の対立関係に拡大し、ひいては国家や民族の間の戦争という問題を引き起こします。 へいわってなにかな ぼくはかんがえたよ おともだちとなかよし かぞくがげんき えがおであそぶ ねこがわらう おなかがいっぱい やぎがのんびりあるいてる けんかしてもすぐなかなおり へいわっていいね へいわってうれしいね みんなのこころから へいわがうまれるんだね これからも ずっとへいわがつづくように ぼくも ぼくのできることから がんばるよ 「へいわってすてきだね」ブロンズ新社 これは、子供さんのまじめな表現です。 平和とは何かということを見事にとらえていると思います。 あらゆるいさかい、もめごとを鎮める道は、自と他との垣根を超えて共感しようとする姿勢です。 一人ひとりが「できることから がんばる」より道はないのです。 |
30.7月はなし 怒りは敵と思え 人の一生は、重荷を負うて遠き道を行くがごとし。急ぐべからず。 不自由を常と思えば不足なし。心に望み起らば、困窮したる時を思い出すべし。 堪忍は無事長久の基、怒りは敵と思え。 以上は、徳川家康の遺訓として流布しました。 人生は思い荷物を背負って長い道を歩むようなものであるから、急いではいけない。不自由なのが当たり前だと思えば何の不足もない。望み通りにならないことがあったら、苦しかったころのことを思い出すが良い。耐え忍ぶことが長生きのもとであり、怒りは身を滅ぼす敵だと思って抑えなければならない。 これが、戦国の世を生き抜いた家康の言葉です。 戦国の時代、織田信長は強靭な武力をもって天下統一を果たしました。その家臣であった、豊臣秀吉は、信長の後を継いで、智謀を尽くして関白まで登りつめました。これに対して家康は、信長・秀吉の時代を耐え忍んで機をうかがい、結果として300年に及ぶ平和な徳川時代の基礎を築きました。 この三者は、鳴こうとしない時鳥に対して、 「鳴かぬなら、殺してしまえホトトギス」と織田信長。 「鳴かせてみせようほととぎす」と豊臣秀吉。 「鳴くまで待とうホトトギス」と徳川家康は言いました。 このように、逸話がありますが、歴史的事実であるかどうか分かりませんが、怒りに任せて早計に行動すると良い結果は得られないという家康の家訓を彷彿とさせる話であります。 しかし、何の為に怒りを抑えて我慢するのかということです。家康は、不遇に耐えることが成功への道だと考えたのです。それが私たちの人生で正しいのかどうかは解りません。 仏教では、怒りのことを「瞋恚」といい、「貪欲」と並ぶ煩悩と「愚痴」の煩悩との三つを、三悪趣として挙げています。それを克服することは世間における成功のためでなく、あくまで自分自身が真理に従い、真実に目覚めて行く道として意味づけられているのです。 うらみは うらみによっては 決してやむことがない うらみを捨ててこそ うらみはやむ。 これは永遠の真理である。 真理に基づいて生きようとする仏教徒は、仏教徒だから怒りの心が生じ無いのではなく、怒りの心は盛んに生じます。 まず自分自身の中に生じた怒りの心から離れることに努めなければならなのです。このことは、お釈迦さまの教えのお蔭です。 |
18.6月はなし 守り育て 救い取るのが仏の心 日本において古くから祀られてきた神々の多くは、大自然に対する畏敬の念をあらわしたものが多いです。太陽が照らし、雨が降り、大地の恩恵がなければ稲は実りません。古代の日本人は、そうした自然の恵みを、日の神、水の神として敬い、豊作を祈って暮らしてきました。それが宗教的情操を生み出す大切な感受性であることはいうまでもありません。神と仏という話は、どちらが優れているかという優劣の問題でなく、質が違うということを知るのが大切なのです。 仏というのは「目覚めた人」という意味のインドの言葉を漢字で「仏陀」とあらわしたもので、それは第一に、仏教の開祖である釈尊に対する尊称でありました。35歳の時、釈尊は後にブッダガヤと呼ばれるようになる小さな村の菩提樹の下で、自分を含めた全宇宙、森羅万象(しんらばんしょう)の真実のすがたに目覚めて仏陀と成られました。その意味では、仏とは真理を見る智慧を完成した人ということになります。 しかし、智慧を完成した釈尊は、自らその喜びに浸るだけでなく、人々と共に歓びを分かつために説法に赴き、以来八十年の生涯を終えるまで、教えを説き続けられました。正しい智慧は、必ず智慧なき者に智慧を与えたいと活動するものなのです。この智慧の活動を慈悲といいます。そう考えると、誕生からさとりに至るまでの釈尊の半生は智慧に至る道であり、最初の説法から入滅に至るまでの後半の人生が、まさしく慈悲のすがたであったということになります。 ところが、釈尊の入滅後時間がたつにつれ、人々の釈尊に対する見方が徐々に変化しはじめます。釈尊の一生を智慧と慈悲に分けるのではなく、釈尊の誕生そのものが、慈悲の発動だったという見方が現れるのです。 釈尊の前世の物語ジャータカ、前生譚(ぜんしょうたん)による説法では、釈尊は、釈迦族の王子として生まれる以前、前世において他の生き物を救うために自らのいのちを捧げるという慈悲行を繰り返し実践し、その功徳によってこの世に仏と成るべくして出現されたというのです。 釈尊が誕生するとすぐに四方に向かって七歩あゆみ、「私はこの世においてもっとも尊いものとなり、苦しみに満ちた世界に安らぎを与えよう」と宣言されました。これは、釈尊を単なる歴史上の偉大な人物として見るのでなく、私たちを救おうとする慈悲のはたらきが釈尊というすがたとなって出現したと感じた人々が、早くからいたとうことです。 仏の本質は智慧と慈悲であります。大乗仏教の時代になると、むしろ慈悲の働きの方が強調されるようになり、仏教における「仏」という概念は、目覚めた人「仏陀」から、人々を救うために出現して「如来」という受け止め方に展開していくのです。 お経には、「仏の心とは大慈悲である。あらゆる手だてによって、すべての人々を救う大悲の心、人とともに悩み、人とともに悩む大悲の心である」と説かれてあります。 「ちょうど子を思う母のように、しばらくの間も捨て去ることなく、守り、育て、救い取るのが仏の心である」と示されています。 人身を受けたからこそ「仏の心」に遇わしていただくのです。 |
18.5月 人間に生まるること 大いなる よろこびなり 日本の仏教のお寺でお経をいただいている経典の最初は、「三帰依文」で始まります。 三帰依とは、仏に帰依したてまつる 仏 仏陀(ぶっだ) 法に帰依したてまつる 法 仏陀が覚った真理、その説教教え 僧に帰依したてまつる 僧 教えを学ぶ人々の集い、集団 この三宝に尊崇の思いを表明し、仏教を学ぼうとする者に求められる最初の心構えです。 三帰依の前文に 人身受か難し、今すでに受く。仏法聞き難し、今すでに聞く。 この身、今生に向かって度せずんば、さらにいずれの生に向かってか、この身を度せん。 大衆もろともに、至心に三宝に帰依したてまつるべし。 人間として、この世に生まれることは難しい。それなのに私はすでに人間として生まれてきた。仏の教えを聴くことは、さらに難しい。それなのに私はすでに、教えを聞く機縁をいただいた。この機会に、迷いの世界から抜け出すことが出来なければ、次にはどんな世界に生まれ変わるかわからない。人間に生まれた今こそ、皆共々に三宝に帰依して迷いから脱出しましょう。 これが、日本の仏教のどの宗派も根本の目標です。 お釈迦さまは、弟子達の前で、地面の土を取って爪の上に載せ、問いかけられました。 「みんなは、この爪の上の土と大地の土の量は、どちらが多いと思うか。」と 弟子たちは、「もちろん大地の土の量が多く、爪の上の土は極めて少量です。大地とはくらべものになりません」と答えました。お釈迦さまは、「その通り、それと同じく、人間に生まれたもので、この生を終えてまた人間に生まれるものは、この爪の上の土のように少なく、その他の衆生として生まれるものは大地の如く多いのである。それだから皆さんは「我らは放逸なることなく過ごそう」と学ぶべきである。 人間として生まれたこの機会を逃せば、生と死を繰り返す迷いの世界から、脱出することはできない、今こそ心して教えを学ばなければなりません。 |
30.4月のはなし 石の上にも3年 新年度になり、転勤の方もあり、新しい職場で「これから3年間は我慢して、頑張ってください」とよくいわれます。努力すれば必ず報われます。という意味もありましょう。 仏教では、怠ることなく努力することを六波羅蜜といいます。さとりに至る道を八正道と言い、①布施(ふせ)、②持戒(じかい)、③忍辱(にんにく)、 ④精進(しょうじん)、⑤禅定(ぜんじょう)、⑥智慧(ちえ)という六つの行を実践することが六波羅蜜です。 「努力」は自分の欲望をかなえるためのもであり、「精進」は仏道を歩む実践上の努力精進するということになります。 私たちの人生には、「人生上の諸問題」と「人生そのものの問題」があります。 人生上の諸問題は、「どうしたらよい成績を取って、有名校に入れるか」「どうしたら一流会社に就職できるか」「どうしたら良き伴侶を得て楽しい人生を送れるか」とこのような問題です。生まれてから死ぬまでの人生をどのように生きるかという手段と方法を問題としています。 人生そのものの問題は、「私は何のために生まれてきたのか」「生きるということはどういうことであるのか」「いのち終わり私はどこにいくのか」という問題なのです。これは処世(社会の中で生活して行くこと)の問題でなく、いのちの意味と方向の問題です。釈尊は、この人生そのものの根本問題を解決するために、道を求めて出家されたのです。その道に出遇い、生涯をかけて歩み続けることは容易ではありません。だから「たゆまず努めよ」と励まされました。 人生そのものの問題の努力は、仏道における精進であり、他と比べて競争するものではありません。「歯を食い縛って苦難に耐える」というような姿勢を努力だと考えてはなりません。競争する努力は、「自分はこれだけ頑張った」とか「あの人に比べればまだまだ足りない」といった思いが強くなり、常に他と比較しながら、勝ったとか、負けたとかという結果にひきずられてしまいます。そうしますと、勝った人は傲慢になり、負けた人は引け目を感じ落ち込んでしまいます。 正しい精進は、そうした自分の欲望が引き起こす葛藤から解放される道を、ひたむきに歩むということであり、それは本来、楽しいはずのものです。 「足ることを知り、法を聴き、真理を見る者の独居は楽しい。 世のいのちあるものに対して自制し、怒りを離れることは楽しい。 世間に対する貪りを離れ、もろもろの欲を脱することは楽しい。 「我」という慢心を克服することこそ、実に最上の安楽である。」と釈尊の言葉です。 |
3月のおはなし 足ることを知るものは 身貧しけれども心富む 汝ら比丘、もし諸々の苦悩を脱せんと欲せば、まさに知足を観ずべし。知足の法は、すなわちこれ富楽安穏の処なり。知足の人は地上に臥すといえども、なお安楽なりとす。不知足の者は天堂に処すといえどもまた意にかなわず。不知足の者は富ありといえども貧し。知足の人は貧しといえども富めり。 遺教経(ゆいきょうきょう)より 以上はお釈迦さまの言われたことですが、今の言葉にしますと 弟子たちよ、あなたがたが様々な苦悩から抜け出そうと思うなら、「足ることを知る」という心を身につけなさい。それこそが豊に安らぐことの出来る場所である。足ることを知る人は、地面の上に寝ていても安らかで楽しい。足ることを知らない者は、たとえ天上の神々の館に居たとしても満足しない。だから、足ることを知らない人は富があっても貧しいのであり、足ることを知る人は貧しくても豊なのである。 私たちは貧しいか豊であるかは、その人の心の姿勢に依ると言われてるのです。 貧しくあるのに文句も言わず我慢せよという意味ではありません。自分の人生に対する姿勢の根本的な転換をおしえてくださるのです。 私たちはどうしても、人生における、あらゆる憂い、悲しみ、苦しみ、悩みは、自分の外に在る状況に起因すると考えがちです。そして、あれがもう少しこうであったら、これがこうなったら幸せになれるのに、といように自分を取り巻く世界を変えることによって、思いを満たそうとしているのです。 ところが、このような思いの欲望は、いつも無限に拡大する性質のものですから、結局、満たされることはないのです。つまり、いつも足りない、足りないと不平をいいながら、その足りないものを埋めることによって幸せを手に入れようとしている私たちに対して、問題はそのように思いこんでいる私たちの中に在ることを、釈尊は教えようとされているのです。 私たちは、節分に「鬼は外、福は内」といいながら豆まきをします。災難を鬼として締め出し、鬼は出て行けと願うのです。玄関の外は鬼だらけです。 奈良、吉野山の金峯山寺蔵王堂では、「福は内、鬼も内」と唱えて豆まきすると聞いています。私たちは幸福だけを求める自分の中に鬼が住んでいると教えられることであります。 念仏者の詩に、福はうち 鬼はそと 待ってください 待ってください その二人は 絶対に別れられないのです その豆 福だけ欲しがる 私になげてください。 |
2018.2月 涅槃会涅槃会とは、釈迦入滅の忌日に行う法会のことをいいます。 涅槃は、貪欲(貪り)や怒りなどの煩悩の炎が吹き消された状態のことをいいます。釈迦は、すでに煩悩を滅している仏がその肉身をも滅することを、完全涅槃という意味で般涅槃(はつねはん)といいます。 お寺では釈尊涅槃画像を掲げて、お経を読誦して、報恩供養の法会を行います。この涅槃会(2月15日)、釈尊が生まれた降誕会(4月8日)、悟りを開かれた成道会(12月8日)の法会を三仏忌といいます。 涅槃会ですから、お釈迦さまのはなしをします。 今から、約2500年の昔、インドの北方に釈迦という一族が治める小さな国がありました。釈尊は、釈迦族の太子として生まれられました。日本の千葉県ぐらいの国だそうです。太子ですから一般の庶民にくらべれば恵まれていました。釈尊は29歳の時に太子の位を捨て、家族も全て捨て、出家されました。 35歳の時に目覚めを体験し、悟りを開かれ、45年間その目ざめの内容を人々に語りながら80歳で生涯を終えられました。 もしも釈尊が太子として王位を継承しておられたら、仏教はありません。 釈尊の出家の動機を知ることが、仏教の理解する上で大切なことです。 出家の動機は「四門出遊」という物語で伝えられています。 それは、太子であったある日のこと、城の東門から外出した際に老人の姿を見て、次の日は南門から外に出て病人に会い、三日目に西門から出て死人を運ぶ行列を見るに至って、自分もまたこのように老いて死ぬ身であることに気付かれたのです。そして四日目に、北門の外で出家した修行者の沙門(しゃもん)に出合い、その姿に心を動かされて自ら出家を決意されたといいます。青年時代の釈尊が、老・病・死という人生の根本苦を自分の問題として受け止め、その苦悩を解決する道を求めて出家されたのです。 私たちの心は常に「いつまでも若く、健康で、生きたい」と願っています。そのためには体力を維持するために食事をとらねばなりません。食事をとるためにはお金が必要です、収入を得るには働かねばなりません。安定した収入を得るのに良い会社に就職すること、良い会社に行くには学力をつけなければなりません。そのために毎日頑張って生きています。しかし、私たちはまぎれもなく、必ず老いてゆき、病に侵され、死を免れない人生をいきているのです。 そうであるなら、「いつまでも若く、健康で、生きたい」という私の願いは、わが身の事実から離れた身勝手な欲望です。 その欲望の追求に明けくれする人生は、空しい人生です。 欲望に振り回されて終える人生の空しさを知り、そこから解放される道を歩むことは、本来、楽しいものであるはずです。それは、欲望の満足が生みだす興奮した快楽とは異質の、しずかな歓びなのです。 「心を制することは楽しい」という言葉は、欲望をゼロにすることはできなくても、欲の心を離れ、制御する道を歩むところに真の歓びがあることを教えられたのです。 |
2018.1月 新年明けましておめでとうございます。 旧年中は、宝林寺のために本当に有り難うございました。 今年もどうぞよろしくお願いいたします。 今年は、西暦で言いますと2018年になります。年号で言いますと平成30年です。平成も後1年しかありません。天皇の交代が行われてます。何という年号になるのでしょう。今年を干支で言いますと、戊(つちのえ)戌(いぬ)です。漢字はよく似ています。昭和で93年に当たります。 100年前は、1918年、大正天皇7年戊(つちのえ)午(うま)年です。戊は、十干ですから10年で一回りで巡ってきます。十干に十二支が絡んで巡りますので、60年に1回戊戌年はあるのです。60年前は、昭和33年でした。神武景気の有った後で日本が急成長した時代です。 仏教では、1月1日にお寺でお勤めをしますが、これを「修正会」といいます。聖武天皇のころ、諸国の国分寺で吉祥天をまつって、前年のいろんな過ちを悔いて修正する法要から始まった行事です。 新鮮な気分の年の初めは、たとえどんな些細なことでもかまわないですから目標を立てて、それを仏様に誓い、行動を起こす事が大事です。 今年こそ、一日一度はお内佛、一月に一度はお寺の本堂に、一年に一度は京都の本山にお参詣りして仏法を聴聞して、真宗の流れを汲む家庭生活を送ることが大切です。二度とない人生、やり直しのできない人生、毎日を大事に精一杯生活しましょう。 人生無根蔕 人生 根蔕なく 人間の生には(植物のような)しっかりとした拠り所がなく、ひらひらと舞い散るさまは路上の塵のようだ、ばらばらになって風に吹かれて飛び散り、もとの通りに居続けることはない 陶淵明の詩です。歳月人を待たず と言ってます。勉励すべし。二度とない人生だから大いに楽しもう。と言ってます。毎日忙しくしている現代人は、刻々と過ぎていく時間のことをつい忘れています。毎日秒刻みの時間のなかで生きています。花や動物たちの一生と、わが身の一生を引き比べてみることも、大事です。学べる時に学び、励める時に励み、仏法を聴聞出来る時に聞きましょう。 |
2017.12はなし 諸行はすぎ去るものである 「諸行はすぎ去るものである。怠ることなく精進せよ」 お釈迦さまの言葉です。今から二千五百余年前、インドのクシナガラというところで、八十歳の生涯を閉じられました。お釈迦さまは、「滅度された」、「涅槃にはいられた」といいます。これは、「煩悩の火がすべて吹き消された世界」のことをいいます。お釈迦さまは、亡くなる前に弟子の阿難に言われました。 「阿難よ、あの向うの林の片すみに、沙羅双樹(さらそうじゅ)が見えるだろう。そこにわたしの寝床を作ってくれ、枕を北に向けて休ませてもらいたい。わたしはそこで滅度に入るであろう」阿難は涙を流しながら、沙羅双樹の下を清らかに掃除して、その上にお釈迦さまは休まれました。お釈迦さまは疲れておられ、頭を北にして西に向き、右脇を床につけ、足を重ねられました。 美しい楽の音が流れ、歌声が聞こえ、天の神々が近付いてきます。沙羅の木には突如、白い鶴にも似た花が開いて、花びらは雨のようにお釈迦さまの上に降りそそぎます。このとき、お釈迦さまは言われました。 「阿難よ、天の神々がわたしを供養しに来たのが見えるか」 「はい、世尊。はっきりと見えます」 「このようにするには、心からわたしを敬い、わたしに報いる道ではない」 「では世尊、真に仏を敬い、仏に報いる道はいかなるものでありましょうか」 「阿難よ。そして愛する弟子たちよ。わたしに報いたいと思うならば、男も女も、わたしの説いた教えを大切にし、教えを実践してほしい。ただひとすじに教えを守りぬくものこそ、わたしにつかえ、わたしを敬うものである。香や、華や、伎楽をもってしなくともよい。ひたすらに法を守り、法に生き、法のために精進するがよい。これこそ、こよなき供養というものである」 「大涅槃とはいかなるものか、お教えください」 「大慈悲心をもって一切をあわれみ、もろもろの人々に対して父母のようにし、よく人々に生死の河を渡らせ、あまねく一すじの道を示してやる、それが即ち大涅槃である。」 「大涅槃に近づく原因に四つある。一つ善き友(師)に近づき、二つに心を専らにして法を説き、三つに念をかけ法を念い、四つに法の如くに修めることである。この教えに従うならば、煩悩の病を除いて、大涅槃の平安を得るであろう」お釈迦さまは、このようにさとされ、静かに眼を閉じられました。 「諸行は過ぎ去るものである。怠ることなく精進せよ」とさとされ入滅されました。 怠ることなく精進せよ。精進とは「精しう(くわしう)してまじえず、進みて怠らず」ということだそうです。 |
2017.11月のはなし 吾が命の仮なること 夢幻泡影の如し 報恩講が各地のお寺で勤まっています。報恩講は親鸞聖人の御命日に勤めるのです。御命日が11月28日ですから、本山で勤まる報恩講を「御正忌報恩講」といいます。親鸞聖人は90歳で往生されました。お釈迦さまは80歳です。 法然上人も80歳でお浄土に還られました。 日本の平均寿命はのびて、百歳を超す人が沢山あります。人間の寿命を他のものさしと比べれば、まだまだ短いのです。鶴や亀の生命には勝てません。 百年という歳月がいかに短いか、人生の時間を見つめたいものです。 仏教では、人間の一生を「吾が命の仮なること、夢幻泡影(ゆめ、まぼろし、あわ、かげ)の如し」といっています。 あ釈迦さまは、人生の短さを教えるために時間の長さを次の二つの喩えで説いておられます。 一つ、芥子劫の教え 鉄城、鉄でできたお城があり、大きさは「四方上下一由旬」一由旬(いちゆじゅん)は、「384里130歩」(一里3.9キロ)で、約1500キロ四方の城に芥子粒を満たし、100年に一粒取り除いて、その芥子粒が全部なくなるまでの時間、これを「一劫」という。では100千万億劫とはどのくらいの時間か。 二つ、磐石劫の教え 大磐石、大きな石があり、大きさは「四方上下一由旬」約本州ぐらいの石です。この石を100年に1回、やわらかい刷毛ですっと軽く撫でます。撫でられた石は少し減ります。減って減ってその石が全部消えてなくなるまでの時間、これを「一劫」という。では100千万億劫とは何時間になるか。 私は、計算できません。いずれも気の遠くなる時間です。お釈迦さまは、お経の中で、極49桁、恒河沙53桁、阿僧祇57桁、那由他61桁、不可思議65桁、無量大数69桁等の表現が沢山出てきます。それだけ偉大な計り知れない世界を説いておられます。 この長い時間のなかでの人生の短さを考え思い、「これほど短い人生なのだから、争うことなく、一日一日を大切に過ごさなければいけないよ」説かれています。 |
2017.10月のはなし 謗りを忍ぶ人にこそ 常に勝利がある わたしの知り合いに高齢のおばあさんがいます。顔に艶が有り、ほのぼのとして、とても明るい方です。長生きの秘訣を聞きました。 秘訣は、二つあるよ。一つは自分の畑で作ったものを自分で料理して食べること。もう一つは、他人の悪口は絶対に言わないこと。とおっしゃいました。 一つ目は、畑を持っている人か、畑を借りて作っている人しかできません。私は畑が有りません。二つ目は、私には無理かも知れないが、心して気をつけねばならないと思いました。 なぜこの二つが長生きにつながるのかと聞きました。他人をののしると自分のところに返ってくる、すると心を病むことになるから健康のためによくない。と言われました。 沖縄の人たちは長生きだと言われます。沖縄の方の生活を聞きますと、夜、休む前に次の言葉を3回唱えるのだそうです。 「チュニクル、サッティーニン、ダリーシ。チュクル、テェーニン、ダラン」 (他人を責めた夜は眠れない。自分を責めた夜はよく眠れる)という意味です。 人間の心というものは胸の真ん中にあるといわれ、これを「方寸(ほうすん)」というのだそうです。上にあがったり、下に行ったりしているのです。怒りぽい人の心は上に行き、がまん強い人は下に行っているそうです。方寸が突然上に来るのを「頭にきた」というのだそうです。心が下腹部に行くと「臍下丹田(せいかたんでん)」といって、ここに力を集めると、勇気と健康を生じるといわれています。 他人のことを謗ったり、ののしったりする人は、方寸が臍下にまで行かないので、「耐え忍ぶ」ことに弱くなるのです。 「他人が怒ったのを知って、それについて自ら静かにしていれば(耐え忍ぶ)、自分も他人も大きな危険から守ることになる。」という教えがあります。 静かにしているということは、容易にできることではありません。他人にあまりのことを言われると、ついこちらも返そうと思います。返せば争いになります、何を言われても耐え忍んで静かに微笑んでいればよいのです。それは自分を守るだけでなく他人をも守ることになります。これは分かっていても実際にはなかなか出来ないことです。負けてなるかとつい返してしまうから問題です。 「耐え忍ぶ人に勝利がある」と教えられたら、「そうか、そうしよう」と思うこころを大事にしたいと思います。 |
17.9月はなし 信はあらゆる功徳を受けとる 清らかな手である 「信」という字は、「人」と「言」の組み合わせです。人の言うことを疑わないという意味があります。人の言われたことを、なんとなく疑ったり、あやしい気がすると思う時は、信ではありません。何の疑いの念もはさまず、教えられたとおりに真っ直ぐに進むのが信です。 ある人が暑い真夏に広い野原を歩いていました。咽が渇き耐えながら、西から東に向かっています。東の方から人が歩いて来ました。彼はその人に尋ねました。「このあたりに水はありませんか」と。東から来た人は「この道を行くと水はありますよ、わたしは今その水を飲んで来たばかりです。この道をまっすぐに行くと、道が二つに分かれている所があります。左の方に行かないで右へ行ってください。すると、青い山が見えてきて、その手前の林の中に、清らかな冷たい水が湧いています。その水を飲んで、のどの渇きを癒してください」と。 この話のあと、「水があると聞いただけで、のどの渇きは癒えないだろう。行って飲んで、はじめて咽は潤うのだよ」と説いてあります。 「疑わずに行って飲む」ここに本当の信がある。という教えです。 ここに出てくる「広い野原」とは、私たちの生涯のことで、「暑さの咽の渇き」とは、煩悩のために苦しむこと。「道」とは、仏の教えのこと、「飲む」とは、教えに従う姿勢、教えを求めて疑いなく信ずることです。 「人は、内に清浄なる水を得て、然るに後にその熱と渇きとの患い(うれい)を除かん」と経典には念を押してあります。 「信じて、実践して、はじめて救われる」。と説いてあります。 「左に行かないで、右にゆけ」とあるのは、「あやしい道に誘い込まれ内で正しい道を行きなさい」という意味です。「突き当ったら右へ」というのとは違います。人間は、いざ突き当ったら右か左か迷います。「左に行かないで右の方へ」といわれると、その場で「そうだ左に行かないで右に行く」右の方を選ぶことができるのです。こう教えるのが「親切な教え」です。 さらに、「清らかな冷たいみず」のありかを教える人は、それを飲んだ人でなければなりません。「清浄なる水」とはっきり言えるためには、「自分が味わっている」という経験、体験、実践がなければならないのです。 そして、そういう実践者の指導に「信じて従える人」は幸せなのです。 教えられたとおりに歩いて行けば、美味しい水をいただけるのですから、すべての行いは「信」をもって初めとし、すべての徳の根本となります。 「信仰」も「信念」も同じ信です。つねに疑い、つねに尻込みをしている人には、真実の信は見えません。真実の光は見えてきません。 疑いのない、清らかな手をさしのべて、真実の光を存分に浴びたいものです。 |
17.8月のはなし 一切の有情はみなもって 世々生々の父母兄弟なり 親鸞は父母の孝養のためとて、一返にても念仏申したること、いまだそうらわず。そのゆえは、一切の有情はみなもって世々生々の父母兄弟なり。(歎異抄) 一切の有情というのは、「すべての生きもの」「生きとし生けるもの一切」ということです。また「すべての人々」(一切衆生)という意味でもあります。 親鸞聖人は、ご自身の父母を供養するために念仏を申したことは一度も無い、と言われました。なぜかというと、「この世に生をもっているものすべてが父母兄弟であるから」と申されるのです。 これはいったいどういうことでしょうか。 世に「父母」といえば、これは自分の父と母であると、だれでもが考えるでしょう。ところが聖人は、「そうではない」とおっしゃるのです。「生きとし生けるもの一切」が父母である、と申されるのです。どのように受け止めるべきか。 仏さまや亡き人びとは、今を生きる人びとを遠くからみつめていらっしゃる。ならば、堂々と見つめられて恥じない日々を過ごさなければ、今残っているものは、本当の幸せの日々を過ごしています。という気持ちも含めて見つめられているのです。この世にいる者が不幸に思った日々を送ることは、仏さまや先に無くなられた人々は、どれだけ悲しまれることでしょうか。 世に若し仏なくんば、善く父母に事えよ。父母に事うるは、即ち是れ仏に事うるなり。 (大集経) 親鸞聖人は、父母を供養するためにお念仏を唱えたことは一度もない、といわれてます。それは、父母の供養などはするな、と言うことではありません。多くの人々の幸せのためのお念仏こそ、即ち、父母へのお念仏である、とおっしゃるのです。 どうしてかというと、生きとし生けるものは、生まれ変わり、死に変わり、何べんとなくそれを繰り返して、今こうしてこの世に生きているのだから、すべてが父母であり、兄弟であるからだ。このように受け止めるのです。 ここに「広大なる慈悲心」があるのです。 |
17.7月のはなし すべてのものは互いに よりあって存在する 空の思想 ある時、京都のお寺でお話を聞いて心に残っていることがあります。それは「時計の話」です。 今の時計はデジタルとかで数字が表示されるが、昔のぜんまい式の柱時計を思い出してください。この時計の表面は、ただ長い針と短い針が動いているだけです。表面の文字盤を外してみると、きわめて精巧な歯車、大きいの、小さいの、動いているもの少しも動かない歯車、ぜんまい、複雑な構造と成り互いに結合して,和合して時をきざんでいるのです。この時計の裏は普段見ていません。表面だけ見ています。 私と言う人間も、姿を見ることはできますが、この姿の裏には見えない世界があったのです。私の存在は、家族・近隣の人・学校の先生・住んでる町や市・日本の国はおろか、全世界のすべてに関係していることになります。 私たちは表面だけを見て、ものを判断し、批判し、結論付けしています。裏の見えないところがどう関連して目に見える世界をつくりだしているのか、そこまでは思うことは容易にできません。 今の私という姿は、子供の時から親から教えられたこと、聞いたこと、友達から教えられたこと、学校で学んだこと、本から得た知識、テレビや新聞の情報、周りのあらゆることがごちゃ混ぜになり、私と言うものをつくりあげているのです。もともと、私と言う姿や形があるわけではありません。みんなどこからか借り集めてきたあやふやにまとめられた、仮の姿を「私」と呼んでいるのです。 人間だけでなく、あらゆるものにみな「実体」というものがありません。かりに、その姿で、そこにあるただそれだけのことです。 「あの人は我が強い」というのも、寄り集まる要素が違うだけで、もともと我などというものはないのです。習慣、感化、経験などの積み重ねが、「他の意見を受け入れがたい性格」をつくりあげてきたのです。それを「我が強い」「我を張る」と言っているに過ぎません。 このように考えると、人間を含め、この世のすべて変化変遷(へんかへんせん)の姿です。つまり「実体」は無いという考えになります。今の私は、「ほんのひととき、仮の姿」ということになります。 身体も刻々と衰え、時間とともに考えも変わっていくのが人間なのです。だから人間同士が、相手はこうだと決めつけないこと、認め合って仲良くしてゆくことが大事なのです。 「すべてのものは互いに、よりあって存在する」まさにこの言葉通りです。 お互い計り知れない過去を背負って見つめ合っているのが、いまの「あなた」と「わたし」なのです。 |